(前編からの続き)
坂の上にある購買でSが仕入れてきた、一番搾りとカツ丼台抜きを間に座らせる。板チョコみたいな色をした肉片をしがみつつ唇を缶に添える。
「大学院行くことも考えたけどな、工学部でも半分以上は4年で就職するんや。ゼミの先輩の紹介、みたいなんで色々回ってくんねんけど…グッ」
悪くなったらしい持病の蓄膿を吐き出しながら、Sは俯いた。経済学部の同学年一番の美女と言われたKさんが、「ルシェルブルー」と書いた水色の紙バックを脇に置いて、対面の椅子に座った。細すぎる足の隙間からは、下着が今にも見えそうだった。
「結局いろいろ落ちてやな、フジモン、液晶テレビで調子良さそうなSにだけ引っ掛かったんや。まぁ…先輩の話聞いてたら、始めはひたすら工場で組み立てのライン入るらしいんやけど」
ひと缶目を飲み干しながら、もう一方の手で二本目の開栓に取りかかる。肉もむなしくなりにけり、僕は外しておいた衣と卵をつまみ上げて口に運びながら暗澹たる思いの中にいた。
院に行くだけの研究対象を見つけられなかった理系学生は、一緒くたになって就職活動という場に雪崩れ込む。またそれは、実学に乏しい文系学生にとって強力なライバルでもある。
「なんやっけ…ゼミの先輩が声かけてくる制度…リクルーター制度やったっけ? 経済やったら多いんちゃうん」
リクルーター制度。
大手に就職した卒業生がホテルの一室にゼミの後輩を呼び出して、マンツーマンの簡易面接を行い、優秀と見られた学生をキープして就活をストップさせるという青田買いの仕組み。
経済学部ならば、大手都市銀行や保険会社が相手だが、彼らにとって学閥を形成するための礎、社内における自分の持ち駒の確保である。
「あぁ…何社かの先輩に声かけられて行ったけどな…はっきり言ってクソやで」
虫酸ごと吐き捨てた僕をKさんが見て見ぬふりをしているのがわかる。残されたネギをタレに絡めながら空けた二本目を口で迎えにいく。
「席立って帰ったったよ。例外なくね」
ゲップ一閃、僕は続けた。個人的に会うものだから、学生はおもねりごますり、先輩側は使いやすい手駒にするために圧迫を十分に掛けておく。「あの人に褒めてもらってん~もうじき内定もらえるかも」と自慢しだす走狗の一丁上がりである。僕はといえば、
「その髪型、社会人舐めてんの?」
「ふーん、音楽好きなんだ、なに、楽器うまいの?」
ってな調子で向かってくる同じ歳(僕は一浪)の虎の威を借る狐たちと、それにへつらう同窓に辟易を超えて、悉く席を立ち一般の就職ルートに向かったのだった。
この外道な仕組みを思い出すだけで、傍らのぼんやり歩いている学生を蹴り上げたくなる。
「おう、やっぱりそんなんか。それで何社ぐらい受けたんや」
Kさんに気付いたSが、身を低くして股間を狙う。握り込むビールは、お互い三本目。
「30は超えたやろなあ」
就活生は誰でも、テレビや街角で見かける有名な会社しか知らないし、誰でもその会社で成功できると信じている。だからこそエントリーシートという名の“自分のいいとこ探し”を、4枚も5枚も夜毎書き続けられる。そもそも「有名なところで営業マンか企画屋」程度の志望動機の人間に、たかがハタチそこそこで、自分のいいところなど5ページ分もあるはずがない。
折しも時代は就職氷河期という言葉ができて5年、抜けた底のただ中にあった。必死に書いた書類を2行のメールで落とされ、筆記試験に連日駆けずり回り、面接で圧力を掛けられながら、着慣れないスーツだけが世の風に擦れて輝く。見つからない“自分のアピールポイント”とやらを、冷たい蛍光スタンドの光の下、半泣きで書き綴るほどに「何もない」一個の自分自身が、暗闇の中ひとり照らされている気持ちになる。
自己評価をすっかり下げた彼らは、賃金・保証・条件にあらゆる妥協を重ねてようやく手にした内定を手に、過酷な社会の現場へ放り込まれるのだ。
「でも、俺はもう決めた」
先ほどのジャグラーが一輪車を引きずりながら帰って行くのが見えた。残ったタレに一匹の蟻が泳いでいた。手足の律動は、決して苦しみもがいているように見えない。
「編集者目指すことにしたわ。バイトやけど。大学まで出させてもろて親に合わす顔ないけどな」
「そうか…まぁ、お前“紙”好きやもんな」
Sはちょっとバカにしたようで羨ましそうな複雑な表情。飲んだせいなのか、漂ってきた彼のワキガだって意外と懐かしく匂える。
就活に絶望した僕は、就活の合い間にシャレで受けた京阪神エルマガジン社で4回生の途中から丁稚奉公を始めたのだった。ずっと愛読書だったMeetsの「自分が面白いと思ったことを書く」スタンスは、小学生時分から書く仕事が夢だった僕にとって魅力的なものだった。5万人の応募で1人しか採らないような大手出版社に滑り続け嫌気が差していた中で、どこか腹を括った自分が居た。
「いや、何か編集って、これから大事な気がしてなぁ」
飲み干した缶を握りつぶして、逃がしたタレの蟻。しばらく旋回を続けたあと、四肢を動かして力強く雑草生い茂る方角へ駆けだしていった。
「ピンク色…」
組んだ足をほどき立ち上がるSさんの下着を目視したふたりは力強く頷くのだった。
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それから卒業して当時のMeets編集長に呼んでいただいた僕は、契約社員、正社員となり28で副編集長を拝命、今に至ります。
Sは冷蔵庫の生産ラインで扉の取っ手を連日パーン、と付けていたものの、折からの家電メーカー不況で苦しんでいるよう。たまに会う一流企業の同窓生たちも、海外の支店で活躍する一線の人間もいれば、仕事を変え日々汗を流している者もいて一様に頑張っています。
ただ、あれだけ歌が上手だった彼が、描いた漫画で笑かしてくれたヤツが、すっかり目を暗くして話すネタがローンとゴルフのスコアと株価のこと、だけではあまりにも寂しく思えて。
どうせ20代ちょいで自分の本分なんてわかるべくもない。あなたのかわりなどいない。それぞれの人が持つ、得意なことを分かち合ってやっていけばいいと、心から思うのです。
受験戦争と大学生活は、知識や選択肢を確かに与えてくれたかもしれないけれど、人を感動させるエモーションや野性を奪っていきました。僕は今、それを親しい周囲のスタッフやミュージシャン、絵描き、職人、そして取材先のプレイヤーたちに補ってもらいながら、“人の心を動かす”文筆で世の役に立つべく、家族や友人に恩返しすべく道を歩んでいるのです。
all Text&Photo by K.Fujimoto