2018年7月11日水曜日

6月18日、9年目の別れ。



 6月18日の地震は、並木橋のビジネスホテルで知った。


 平日の渋谷は、痛飲明けの僕を起こすほどの喧噪で、薄い薄い雨音にホームへ入線する電車の案内が混ざって、何だかいきなり東京めいていた。既に蹴飛ばされていた掛け布団にシーツを押し遣って立ち上がると、ぐいちにボタンを留めていた寝間着から情けない乳首がもれ出る。

 デスクのコンセントから一杯に引き絞った充電器のコネクタを抜いて携帯を見ると、LINEが大変なことになっている。液晶のニュースに出た“関西で地震”の文字を目にし、総毛が、情けない乳首が、逆立った。

 大過がないのは着信がない様子で判断できたが、震源が大阪北部と聞いたら、まずは門真の実家に帰省中の妻子の安否だ。
 電話を入れると、揺れの刹那は一家仲良く朝食を摂っており、息子を抱き上げてすぐ外に出たという。ケガや被害もないに等しいとのことでひと安心、身支度をしながらテレビで状況確認にかかった。すると阿倍野の母からLINEが入る。


「セント君しんだ!!」


*****


 セント君だが女の子。セントだがゴールデンレトリーバー。

 その性格は温厚篤実、実家の庭で悠々寝そべる姿はまるで神獣のごとしで、石膏の型でも取れそうな浮き世離れした雰囲気を持っていた。
 「近所のブリーダーが持てあました年齢不詳の成犬をタダで引き取ってきた」という母の話にはいまだ謎が残るが、「そこらの道歩いてたから」とトイプードルを拾ってきた実績がある母のことゆえ、藤本家は何の疑問もなくその大型犬を一家に迎え入れたのだった。

 名前は、当時よく取材で出くわしていた奈良のキャラ「せんとくん」から頂いた。“せんとヘッズ”として、日々コケにされていた健気な彼を応援していたゆえの思いつきだったが、件のトイプードルに「プーちゃん」と付けてしまう母のセンスを誰も信じられなかったのだろう、名前はすんなり「セント」と決まった。
 

 家に来た当時のことは、実はよく覚えていない。兄の結婚に伴う実家の建て替えで、居場所がなくなった僕は松屋町でひとり暮らしをはじめ、月刊の副編集長として連日連夜の酒浸りだったのだ。

 金や食料が尽きる給料日前、僕は決まって真新しい実家に転がり込んだ。戸棚から勝手に酒を出し、床暖房で尻を温めながら飲み呆ける僕に寄り添うのは、窓一枚隔てたセント君だけだった。


*****


 押し迫るチェックアウトに、時計を見遣って母へ電話を入れた。


「最後のご奉公やったんや」


かすれた声で、母は意外な言葉を繰り返した。

 飼い主一家に似てか、代々の飼い犬たちはナイーブな小心者ばかりで、落雷や台風といった天災のたびに正気を失う。セント君も例に漏れずの性分で、生後初の震度に頭でもぶつけて憤死したかと思いきや、どうやら熱中症の後遺症とのことだった。

 なんでも週末の熱波に急な不調を見せており、週明け月曜に医者へ連れて行こうとしていた矢先。朝、様子を見に行った母が、それこそ石膏の彫刻のように冷たくなっていたセント君に声をあげ、一家全員庭に飛び出したその時、地震が来たということだった。


 「地震を事前に知らせてくれた」というのは飼い主の欲目かもしれない。そして、別れまで神獣めいた彼女の最期の表情を、僕は知らない。なんとか乗り込んだ乗車率200%の新幹線は、彼女の葬儀に間に合わなかったのだ。


 飛びついてきたところを丸抱えでだっこした時の恥ずかしげな表情。壁の穴から突き出た濡れた鼻。思い切り口角を上げてのお座りと、雑なお手。


 名古屋まで立ちながら見る車窓には、暮れるほどに白く儚くなる彼女との思い出が浮かんでは消える。

 新大阪に着くと、止まっていた御堂筋線が力強く人を運び出していた。
 右往左往していた30代だけど、僕にも子どもができ、帰るべき家ができた。何も捨てずに、何も諦めずに、家族といまだ叶わぬ夢を丸抱えにして生きていこうと誓った。


 いつもしなやかで野性の匂いを放つ、セント君を抱え上げた、あの確かさで。








all text&photo by K.Fujimoto

※この度の震災と豪雨被害に遭われた皆様の、一刻も早い平穏な日々の訪れを、心より祈念しております。