2017年8月30日水曜日

トンネル抜けて



“文才のある人間が一作目を書くことを努力という。文才のない人間が書くことを徒労という”



 家族で訪れた飛騨高山の帰路の車上で、僕はある雑誌で見た誰かのフレーズを鼻先でなぞっていた。

 岐阜を串刺しにする中部縦貫道は、ひたすらトンネルの連続だった。暗闇を抜けるたびに空模様が一新されるほどの長いトンネルをようやく超えたかと思えば、光と闇が次々投げつけられるような短いそれが続く区間もある。

 全線開通が今年度、という真新しい道ながら、旅帰りの心身に明滅の暴力はすさまじく、トンネル入口の扁額に添えられた「54分の00」を、僕はほとんど祈るように数えていたのだった。


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 北浜Visionsで行われた友人のオブジェ作家『Birbira』の展示会に、嬉しくも『冬の魚』という詩を寄せた今年の1月から、どういうわけか締め切りのないものを書くことができなくなった。

 今春長屋から引っ越した一軒家の2階には、生駒の山並が一望できる書斎もできたというのに、机に座っては天下一品祭りの景品の小さいラーメン鉢や、祖父がくれたヤンキースの硬球をなで回すばかり。

 春を過ぎ、蝉が鳴いても即席の締め切りのために購入した卵型のキッチンタイマーは結局一度も鳴ることなく、書くためにとった休日の2時間は次々と薄暮に消えていった。


竹箒で汗かき庭を掃除して、水を満遍なく撒く。
柳の木漏れ日が入る夕方に、ソファに沈んで水割り片手に詩集を読む。
仕事に行く時は、上町台地の坂をロードバイクで火の玉になって駆け下りる。

 書き出してみるとおどれは貴族か遊民なのか、という話だけれど、原因がわからない手前仕様もなく、新居に身体を慣らしながらテキトーに暮らしていたのである。



 そして夏になり、息子をプールで遊ばせていると突然胸の真ん中から詩情がふつふつと湧いてきた。
 ハングリー精神や反骨精神と、書くモチベーションは不可分だと思っていた自分にとっては不思議なこと。

 そのふつふつを少しずつてのひらに汲んでみると、息子誕生までの苦労や金銭面のストレス、月刊誌からの異動と仕事に対する鬱屈が、思いのほか心身に負担をかけていたことがわかってきた。

 身の回りの環境を変えることが、もっともたやすく思考の淀みを取ると聞く。

 洗い出しの駐車場に、ミラージュが立ち上っていた。僕は息子に向けていたシャワーを空に向け、ガマンの3年が終わったことを薄くかかった小さな虹に告げることにしたのだった。


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 乳児から幼児用へ買い換えた真新しいチャイルドシートに座った息子が、郡上八幡を過ぎたあたりで眠りについた。曲をニール・ヤングの『Heart of Gold』にして後部座席の妻を見ると、携帯も見ずに車窓を眺めて、西陽に頬を赤らめている。マイペースな相棒は、悩んで焦ってばかりの僕をせっつくことを一切せずに、この半年を見守ってくれていた。

 トンネルのナンバリングがゼロになったあたりで、妻が静かに口を開いた。

「とにかくひとつ、どんな短いのでもいいから書きあげてみたら。それを私に見せて」



 珍しい妻からの注文が、僕にはとても嬉しかった。




 日が落ちて滑り込んだ養老SAで、我々は車を停めて伸びをした。荒々しく打ち寄せる波のような夕暮れの空が、帰り道の方角で燃えていた。

「文才のない人間が書くことも、努力という」

車内に売店で買った天むすを放り込み、僕はいつまでもその情熱的なグラデーションを見つめていた。










all Text&Photo K.Fujimoto