2012年8月20日月曜日

ふじもせんとくんの休暇/第六回 寄らば大樹の陰。


「夏の日の2012」




 この週末はサマーソニックに伺っておりました。土曜日はドリフのカミナリ様、高木ブーがいよいよヤケを起こしたとか思えぬ雷雨。
 ジャミロクワイも風邪ひいてキャンセル、目がつり上がった音楽好きの中指立てた写真がたくさんTLに流れていました。しかし僕が訪れた日曜日は一転夏空。例年増え続けるひとり女子の数に驚きながら、太鼓腹を出してシガーロスを寝ころび聞きする至福のひととき。
 
 ほいでイヤーっつって帰宅後の寝室、ビッグGの襲来に大立ち回りで疲れ果てた週明け、第六回をどうぞ、的な!





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「たぶんパルマ」



 実はこの旅、「イタリア芸術の旅とサンマリノ共和国9日間」というお題目ゆえに、いわゆるベタなルネサンス芸術ではなく、近代化以前つまり中世の宗教建築・美術が軸でありました。

 行く街、訪れる場所、ドゥオーモ(街の一番重要な大聖堂)、バジリカ(中世以前の教会)に洗礼堂、礼拝堂、廟のオンパレード。

 ツアコンO女史の口から世界史授業のごとく飛び出す人名や年号の数々に、年配ツアー客たちの目が3日目には死んでいたのを見逃しません。ユスティニアヌス帝、ディオクレティアヌス帝、ゴート族の侵入…。ふじもせんとくんのように“クラスにひとりいる歴オタのなれのはて”ならばともかく!


「ああ!もう一度山川の教科書買って勉強だっ!」



 日本の古代とは違い、歴史的資料、とりわけ紀元前後の古さのものですら残っているローマ帝国。各都市の権力者たちの政教ほぼ一致政策のもと、紀元後すぐぐらいの建築物や宗教施設がそこら中にあるわけで、それはもう奈良や京都など相手にならぬ。

 そして数を稼ぐほどにアーチの具合や装飾、宗教画のタッチでおおむね時代が見えてくるのですが、まったくイタリアまで来てお遍路をするとは誰が想像したでしょうか。




「聖母、昇天しまくりです」


「ようこしらえたなとしか言いようがない」



 ざっくり申し上げて、キリストの生誕から死までの物語、すなわち受胎告知→最後の審判ってな同モチーフの連打連打で、その差異は確かにあるとはいえ、キリスト教の知識がなければ本質の理解は難しい。
 建築物から取り外せないフレスコ画やモザイク画は、光の入り方などを計算した完璧な演出を施された現地でしか見られないものも値打ちのひとつですが、ンなもん日本の美術館で見て、宗教芸術のナニがわかる西洋絵画のナニがわかる! と思ったのも正直なところです。



「外国人が仏像をたくさん見たときもこんな感覚なのかなあ…」


 J-Boys a.k.a 侘びメンもしみじみ昨年の高知遍路旅を思い出しています。




「ラヴェンナ。紋様やフォントも気になります。
下のラーメン柄がイケてる」



「光の入れ方は、どこも妙味たっぷり」



「ラヴェンナは映画祭で盛り上がっていました。
ガキンチョも謎のホースで大暴れ」




 4日目のパルマ、5日目のラヴェンナも、それは素晴らしい聖堂のオンパレードなのです。
 でも、高知の札所をすべて訪れたお遍ローラーふじもせんとくんですら、ドーム天井の聖母被昇天を見すぎて首の爆弾がちりちり音をあげています。


 コレッジョにアンテラミといったロマネスク時代を彩った名工ふたりのフレスコ画と石工、ビザンチン帝国領時代のモザイク画。日本では国宝級に違いないそれらを見続けるうち、キリスト教を権力護持と人心掌握の手管とする人間の業の深さ、日本とまるで思考様式が違う西洋の根幹を成す“何か”に、屈託が増すのです。

 道中、フランス人文科学を修めた内田樹『街場の文章論』、「茶の湯から読み解くニッポン」とサブタイトルが振られた千宗屋さんの『茶味空間』を併読したいたために、夜ごとホテルで机に向かって思索に耽ることになりました。



「でも…ベランダでモレッティ(ビール)片手に宮沢賢治は最高だねっ」




 我々の五感が輻輳していく可能性。西洋的個・実存主義の逆を行く“自然の中の人間”という考え方。動物的野性への回帰。これからの「喪失」との向き合い方。

 普段考えている様々なキーワードが、宮沢の描く銀河と実際に目前にある星空で一緒になって、思ったよりまばゆく光って流れるのが確かに見えます。



 文筆に一生を捧げる覚悟はあるのか。気付けばラヴェンナの空は、磨き上げられたモザイク画のように、手触りある近さで、ふじもせんとくんの目前にあるのでした。

(第七回に続く)
all Photo & Text by K.Fujimoto


「寄らば大樹の陰」

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