2011年10月31日月曜日

ふじもせんとくんの挑戦〜大阪マラソン完走〜

完走後、4時間半でフィニッシュしたTフクヘンと。






 神奈月いや神無月30日サンデー。走り慣れた大阪城公園の北東のPグループスタート地点に、P26993のゼッケンをお腹に戴いたふじもせんとくんの姿がありました。
 「前に詰めてくださぁい」間の抜けた係員の声が、すし詰めをさらにキュッキュのキュにします。ふじもせんとくん、待ちに待った大阪マラソン当日というのに、後ろのオバちゃんのサンバイザーがコツコツうなじに当たるのが気にくわないのかどうも不機嫌顔。

「実はきのう…夜10時に布団に潜り込んだってのに眠れなかったんだい」

 これは走れなかった時の予防線でしょう。ほら見たこと、やれ太腿が、ちょい前から下痢気味で、幾らでも出てきますよ。そもそもカッコつけたいから出場を志願したんでしょう?

「違わい、学生時代には出来てた努力ってこと、最近忘れてたからその意味を思い出すためさっ」

 知っていますよ、禁酒といいながらオールフリーを毎日てんこ盛り飲んでいたこと…。まぁいいでしょう。仕事終わりのド深夜、誰もいない大阪城公園を8月の出場決定から目標の半分とはいえ、200km走ったというのですから。寝付き・代謝とも良くなり、何よりもそのぽっこりお腹が縮んだこと! これは完走を度外視しても成果といえるでしょう。

 そういえば今朝も5時に大好きな冬の布団から飛び出し、嫌いなバナナ、大好きな梨、エナジーゼリー、食パン、シリアルと教科書通りのものを食べ込んでウォーキング。会場に向かって手荷物を預け、ストレッチをしていよいよスタート位置にいるわけです。ふじもせんとくんのやる気が伝わってきます。

「寝られなくもなるさ。まぁ、前日に寝だめしたのが原因だけど…」

 スタート位置のPは、お察しの通りブービー枠。Aから続くスタート順ですから、その人数のほどがわかるというものです。何かのセレモニーが行われているのでしょう。しばしば拍手のウェーブがこちらまでやってきます。おやふじもせんとくん、持ち前の長身を活かし、女性ランナーのポニーテールを品定めしているようです。

「これが揺れてうなじが見え隠れするわけかぁ」

 ゴキゲンの戻ったせんとくんのヨダレが、これから踏み続けるアスファルトにぽとり。時は9時。それを号砲に、第一回大阪マラソンの火ぶたが切って落とされたのです。


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 20分ほどして、ドライアイスシャワーに包まれながら、スタートラインを切りました。そう、今回はゼッケン裏につけてある計測チップがタイムや順位を計ってくれるのです。まずは5キロ地点に施された、第一の収容関門に間に合わなければなりません。交通規制が絡んでいるので、スタートのロスなど関係はありません。スタート地点の府庁前には、政治家専用の雛壇が設けてあり、ふじもせんとくんは次の市長・府知事選に思いを馳せます。

「それにしても人が多いなぁ…自分のペースで走れやしないよ」

 さすがに3万人のはじめ5キロともなると、抜くひと避けるひと入り乱れての難儀な道のり。

「アーーッ…!!」

 ふじもせんとくんも足がひっかかること数回。いつ自らが谷口浩美さんの名言を自虐的につぶやくことになろうかと冷や汗ものです。集団は大手前から中央大通りを西へ進み、森ノ宮の交差点で右折、玉造筋に入りようやく道幅を確保。それにしても驚かされるのは沿道の大歓声。ビニール棒をぽくぽく叩くひと、大声で激を飛ばすおじさん。太鼓に鐘、鍋釜オタマと至って、ようやく「街中でのマラソン」の意味がわかってくるわけです。

「シュンゴ兄ちゃん、ヒロコ様、それにユアンちゃん!」

 5キロ寸前の上本町交差点近く、J-Boys次男一家が声援を送ってくれていました。シュンゴ兄ちゃんとハイタッチを交わし身体もココロもあったまってきたふじもせんとくんは、ようやく想定のペースを刻み始めます。そして始めての給水を経験。今回は水とスポーツドリンクが交互に提供される仕組み。

「はじめは舐めるぐらいで」

 慣れていない人ばかりで大混雑の中、ひと口ずつ飲むふじもせんとくんでしたが、後半は疲労のあまりガブ飲みを繰り返していたのも報告しておきましょう。都合3度通る難波交差点から御堂筋を北上。沿道の歓声もひときわ多いエリアです。「よしこ…ラブ」てな謎のメッセージはじめ、エスプリに富んだ自作看板に、クスリと笑う余裕がまだありました。ちなみに先頭集団は1時間後に通過するであろう対向を疾走。ちょっとヘコみますがキープマイペース。10キロのチャレンジランの人と別ルートに分かたれたマラソン挑戦者たちは、土佐堀通りを左折しひとつめの折り返しを迎えます。このあたりで、バテ気味の方が少々出てきます。

「全然いけるもんね」

 余裕ぶっこくふじもせんとくん、5キロ地点からキロ6分25秒ペースと、想定より少し早いペース。気持ち落としにかかるのですが、周りが同じペースなのでなかなか落とせません。弊社キム兄に愛想を振りまいた後、中央公会堂を通り、今度は御堂筋を南下。本町の15キロ地点を過ぎた時の動画(ネットで見られるのです)はまだ余裕のある表情です。難波交差点を右折、長く伸びた集団は一路千日前大通りを大正方面へ。

「それにしてもこのコースは高架下が多いんだなぁ…」

 変わらない風景、というか街の雑誌を10年もやってりゃ、全コース目を瞑ってても歩けそうなもの。折り返して同じ道を走ることも多く、退屈しないか、といわれれば難しいところです。ナニワに名所数あれど、それを無理に繫いでいる気がしなくもない。

「もっと全体が楽しいような美しい街にしていきたいなぁ」

 ふじもせんとくんも市民のひとりとして、地元の雑誌に関わるものとしてそう強く思うのでした。名所間の楽しみはさしてなくても、沿道の声援が何よりチカラの素。20キロの折り返しには、一緒に練習をしたマコニキ、ニゴ姉、そしてメグ氏の大きな声援が。均等のペースを刻んできたランナーズ・ハイの身体に染み渡ります。


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 問題はここからでした。まず、20キロを過ぎたあたりで携帯アプリの距離と、実距離に乖離が出始めます。携帯アプリが23キロといったなら、実距離の看板は22キロ。人を避けたり外側を走るうちに距離を稼いだのでしょうが、それにしてもあまりの差。最終的には2.5キロの差まで広がるのですが、精神的になかなか辛いものがありました。汐見橋で中間を過ぎたあたり、2度20キロを走ったふじもせんとくんからお約束の言葉が出ます。

「この倍か…」

 通天閣を超え、25キロに至って「足は痛いだろう。でも気のせいだ」ってな看板が目立ち始めます。26号線に入る頃には雨足も強くなり、単調な直線にココロ折れたか歩く人も。ふじもせんとくんも、25キロまでキープしたペースを少しずつ落としていくことになります。やはりハイペースだったのでしょうか。

「想定通りのキロ6分45秒でいってれば…」

 後の祭り。その頃には女子の後ろ姿を追うことも、キャップから出たポニーテールを吟味することも出来なくなりつつありました。実家にほど近い玉出、このあたりはもはや「地元」といっても過言ではない場所。

「1キロが、だんだん遠くなりにけり」

 ふいに口をついた川柳の面白くなさが限界が近いことを示唆しています。そしていよいよ西にひた走る南港通りは玉出交差点。ここで純白のニットに身を包んだオカンがジャンプしながら手を振る様を見て脱力、ココロの何かが折れちまったのです。純白でちょっとモコモコしたニット。


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 そこからの30キロ台は、沿道の声援が減る上にまさしく悪鬼羅刹の所業とでも言いましょうか。立ち向かうふじもせんとくんの顔も修羅の形相となりはてました。住之江競艇場前で声援をくれたカメラマンの栗原くん一家から送られてきた、「あの時みたふじもっさんの顔は一生忘れられないものになりそうです」とのメールがそのすさまじさを物語ります。一体どんな顔をしていたのでしょうか。

「抱きかかえられていた小さな子どもちゃんのトラウマになっていないことを願うねっ」

 無責任なことです。そしてひたすら続く高架下の道。雨を避けて歩くランナーはその軒下に身を寄せます。ふじもせんとくんもついに35キロ地点で足を一端止めてしまいました。そこからはしばらく走っては歩くの繰り返し、前に踏み出すのが辛く、雨の冷たさが骨身に染みていきました。最後の難関、南港大橋を迎えてもはや無の境地。ふじもせんとくんの眉間から険が取れ、それはそれは神々しいお顔だったといいます。




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 ふと気がつけば41キロ地点。演奏を終えたリュクサンブール公園のメンバーや、折り返しから再び来てくれたマコニキ一同の「あと少し、頑張れーっ」という力強い声援を聞いて、正気を取り戻したようです。皆が身を乗り出して応援してくれることがこれほど嬉しいこととは。看板に表示される残りの距離も少しずつ、でも着実に減っていきます。
 

 小さい頃から持っている成したい夢に向かって努力を怠ってきた自分。街の最前線でサバイブしているひとたちの生き様を扱わせていただいているにもかかわらず、どこかそれに慣れていきつつある自分。このマラソンを完走したことでそれらが棚に上がる訳ではありませんが、ふじもせんとくんの中で、街で遊び・働いてきた10年が、そしてひとり暮らしや自炊、食生活の改善などに取り組んできたこの半年が、それなりの意味を持ちゴールとともに迫ってきました。

 そしてついに、聞き慣れた802のDJクルーの労う声を嬉しく聞きながらフィニッシュしたふじもせんとくん。柄にもキャラにもなく、力強く拳を突き上げ、顔に流れたのはどうもいよいよ強くなってきた雨だけではないようでした。映画や本からといった与えられるものではなく、自らの深奥から湧いて出てくる熱い“感動”なのでした。


 「30キロからのつらさはもう恋なんてしないっていっちゃいそうなレベルだったけど、マラソンは決して自分との戦いだけじゃないんだぜ。友だちや沿道の声援、そして開催される街の名所やその道を走るそれぞれの記憶。最終的には自分のこれまでの生活すらも見えてくるものなんだなぁ。ぜひ周りの皆さんにもオススメするよっ」

 
 記録は5時間20分27秒。18971位でのフィニッシュ。たくさんの方からお褒めの言葉をいただいて一日ドヤ顔でしたが、これを書いている間にも着実にキテいる時間差筋肉痛に、すっかりそのドヤ感を持っていかれたふじもせんとくんなのでした。
 

 


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